生産者が語る、いわての食財。
いわての一生懸命を、食卓に。「南三陸きっての豊穣の海、広田湾。「広田カキ」を食卓へ。」広田かき組合 津田政弘さん
私たちが訪れたとき、津田さんの作業場では、カキの剥き身作業の真最中。二人のお年寄りが、慣れた手つきで殻をあけ、スーパーでよく見るものの2倍はあろうかという、大振りの身が取り出されていきます。岩手県では、2年から3年かけて、カキを大きく育てて出荷するとか。なるほど、大きいのも頷けます。
広田湾(陸前高田市)は、気仙川の栄養豊かな水が注ぎこむ豊饒の海。「広田カキ」といえば、築地市場でも全国一の高値をつけるブランドカキです。
ところが、あの震災で、広田湾のカキは壊滅状態に。ここ広田町でも、養殖施設は流され、組合員の半数が船を失いました。
「私は消防団員なので、震災直後は、行方不明者の捜索などに当たっていました。瓦礫の撤去が始まったのは、震災から2カ月後の5月。翌6月からは、今後養殖施設の復旧をどのように進めるかを話し合い、広田地区の生産者14人が共同体をつくって、養殖施設の復旧と生産にあたることを取り決めました。」
1人3台の施設として、42台の施設を設置。 7月には、宮城県の松島、石巻、渡波(わたのは)から、かろうじて残っていた「たね(種苗)」を確保。「種苗」というのは、ホタテガイの貝殻(採苗器)に、カキの稚貝を付着させたもの。その後、2年間の養成を経て、昨年の12月から今年4月に、震災後の初出荷を迎えました。
「まだ、東京に出せる質まで、戻ってなくて、地元の大船渡での消費に回しました。けれど、その頃には、船も13隻まで増えて、組合員の一人ひとりも手応えを感じることができた。
そこで、4月の出荷を終えて、42台の施設を3台ずつ個人に配分。共同体を解散しました。」そして、今シーズンは、それぞれが独り立ちしての出荷を迎えています。
津田さんたちが住む広田町は、広田湾の一角をなす広田半島の突端に位置する、湾内でも外海に近い場所です。
「この辺りは、外海の影響で海流が早く、カキの養殖は湾内の他の地区より難しい。でもその分、海水が常に循環しているので、カキに臭みがなくて、おいしいんです。」
三陸では、牡蠣汁というと、お澄まし仕立てです。いただいてみると、カキの臭みは感じません。カキの鮮度の良さ、育った海の環境のおかげでしょうか?三陸のリアス式の地形は、山が海岸線に迫り、入り組んで、至る所で清水が湧き、海に注いでいます。水が澄んでいて透明度が高いのはその独特の地形の賜物なんです。
ここで岩手のカキの養殖についてのお話しを。
【カキ養殖施設】まず、カキの養殖施設は、『はえなわ式』と『いかだ式』があります。はえなわ式は、1~2本のロープと楕円形の浮玉をはしご状に連結して、その両端にコンクリートブロックの重しをつけ固定する方式。長さ100~200mにもなり、波や風の影響を受けにくいのが特長。一方、いかだ式は、木枠に浮きをつけたものをコンクリートブロックの重しで固定する方式。波の静かな湾内で多くみられます。長さは10m~60mです。
【養殖のプロセス】カキは通常11月~4月までの水温の低い時期に、稚貝搬入を行います。稚貝は全て宮城県(主に石巻市)から搬入します。この稚貝は、ホタテガイの貝殻(採苗器=原盤)に付着しています。
「原盤調整」を行った後、原盤を垂下綱に挟み込んで養成します。そしてある程度の大きさまで育ったところで「温湯駆除」を行います。「原盤調整」は、カキを大きく育てるため稚貝を間引くこと。「温湯駆除」は、採苗器につく「シュウリガイ」などを65~70℃の温湯を使って駆除するとともにカキの放卵放精を促すこと。
こうすることで、ひとつひとつのカキに海の栄養を行きわたらせ、大きく育てます。カキが5センチほど育ったところで、原盤を割って牡蠣を分割し(分散)、ネットの中で養成する場合と、原盤のホタテ貝殻に付着させたままで育てる場合などがあります。そして岩手県では、2年から3年かけてカキを大きく育てて出荷しています。
「今年の出荷分でも、まだ本来の広田カキじゃない。身入りにばらつきがあるんだ。うちでは、以前は、殻つきのカキを出荷していたんだけど、品質を確認するために、剥き身で出しています。いいものはテスト的に東京に出荷も始めました。本来の広田カキにもう一息という手ごたえかな。」
最後に津田さんから、全国の消費者のみなさんへのメッセージ。「広田のカキは、とにかくおいしいので、みなさん、食べてください。」三陸のきれいな海で育った、自慢のカキ。店頭で見かけたら、ぜひお試しを。