生産者が語る、いわての食財。
いわての一生懸命を、食卓に。「あと何人に出会えるか。岩手の米作りは、出会いも作る。」米農家 石川千早さん(奥州市胆沢区)
岩手県きっての米どころ、県南地方。県南産ひとめぼれは、(一財)日本穀物検定協会による食味ランキングで「特A」(最高位)を18回も獲得しています。中でも奥州市胆沢(いさわ)区は熱心な米農家さんが多い地区です。実りの季節、この地区では、『ほんにょ』と言われる稲の天日干しの風景が見られます。ちょうど仁王様が立ち並んでいるような形状から、穂仁王、それが転訛して『ほんにょ』と呼ばれるようになったとか。この『ほんにょ』が見られるというのは、この地区の生産者の米作りへのこだわりが強い証拠。最近では、こうした手のかかる天日干しよりも、コンバインで刈取り脱穀した後、機械でのコメの乾燥まで一気にやってしまうのが主流です。この『ほんにょ』が立ち並ぶ風景は、年々、減っているのだそうです。そうした中にあって、石川千早さんは、こだわりの米作りを続けている農家のひとり。この日は、グリーンツーリズムに参加した大阪の高校生たちと『ほんにょ』づくりの真最中でした。
「米づくりは、八十八の過程があって、手間がかかる。八十八が合わさって米という字ができたなんて、昔から言われてるよ。今日は、刈取りから、『ほんにょ』づくりの作業をやります。八十八の過程のうち、仕上げの作業。なぜ手間のかかる天日干しをやるかって?それは、このあたりは、牛も育てているでしょ。そのための稲わらを作るため。それに、昔ながらの天日干しの米を食べたい人がいるから、天日干しの米はちょっと高く売れる。このあたり、『ほんにょ』をつくっている家が多いでしょ。畜産と米作りを一緒にやっているこのあたりの特色だろうね。」
まだ刈り取られていない稲は、穂先こそあの黄金色だけど、葉や茎は、まだ青々しています。なるほど、干されることで全体が黄金色になるのか。畦道をあるくたびイナゴが飛び交います。
「今日は、大阪の金剛高校の生徒さん3人と一緒に作業します。このあたりは多くの農家がグリーンツーリズムに参加していて、うちにも毎年、若い人たちがやってきます。今回、参加した生徒さんたちは、みんなで260人くらいかな。胆沢区だけじゃなく、奥州市周辺や平泉町の農家に泊まって、農業体験しています。一生懸命やれば、今日の晩御飯は牛肉だぞって、はっぱかけてます」。
高校生たちがやってきて、作業開始。前もって教わっていたのか、それぞれが自分の仕事を始めています。『ほんにょ』づくりは、まず、直径10センチ高さ2メートルほどの杭を田んぼに並べて立てる。それに、稲穂をかけるための横木を、所定の高さに紐でくくりつけます。そうしてできた土台に、稲束を穂先を外にむけて交互に掛けていきます。
「農家によっては、ひとつの『ほんにょ』にかける稲束はいくつと、きっちりやる人もいる。形や大きさが遠目にも揃っていて美しいね。今日は、台風の影響で、風が南から来てるけど、本来なら、西北の風、冷たい風で2~3週間くらい自然乾燥させるんだよ」。
ここ胆沢区は、北上川が流れる肥沃な土地と、古くから培われた米作りの伝統があります。 手間がかかる『ほんにょ』も、ここ胆沢では、あたりまえのように、見ることができました。 高校生たちは、どう感じているのでしょうか。
実家が農家という生徒さんは「こんな風に、手作業で稲を干すなんてことなかったから、面白いし勉強になった」。農業ははじめてという生徒さん「しんどいけれど楽しい。農業っていうと泥まみれになって、誇れるような仕事じゃないって、思っていたけど、やってみるとイメージがちがった」。いかにもスポーツマンといったタイプの生徒さん「稲刈り機をやらせてもらって、最初はうまくいかないんですけど、うまく行くと、すごく達成感があって…。やってみて、汗を流すって、いいものだなって思いました」。
ヨーロッパでは、農村に滞在するバカンスのあり方が定着しています。英国では、グリーン・ツーリズム、ルーラル・ツーリズム。フランスでは、ツーリズム・ベール(緑の旅行)と呼ばれます。農家に滞在して、畑仕事を手伝って、汗を流して、夕食にはその土地でとれたものを食べ、都会の雑事は忘れる。生活を楽しむことが上手な、あちらの方たちは、農業にも、しっかり新しい価値を見つけています。
「あの子たちも、何を感じてもらえたか。きっと、後で話してもらえるでしょう。今日、この日感じたことと、10年後、思い出したときに感じることもまたちがうかと思いますが。
私が、農業を楽しんでるってことは、感じてもらえたんじゃないかな。5年、10年、15年と日本の農業はどう変わっていくか、わかりませんが。わたしは、ただただ、おいしい米を作っていく。こだわっていきたいのはそこです。それと楽しみなのは、あと何人に、こうして出会えるか。いま、60を過ぎましたけど、あと15年は、十分やれます(笑)」。